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書籍「倉安川の歴史」のご案内

平成22年1月13日

昨年9月、「倉安川研究会」から書籍「倉安川の歴史」が発刊されました。弊社社長福成孝三をはじめとする社員3名も、「倉安川研究会」のメンバーとして執筆に参加しました。
本書籍は、江戸時代初期の岡山児島湾北岸の新田開発(干拓)において重要な役割を果たした人工用水路築造の歴史を、社会的背景、治水・利水、現代の機能などの面から取りまとめたものです。 貴重な農業土木遺産である倉安川の姿やそれを取り巻く周辺環境も現在では築造当時とはかなり変化してきており、その存在が人々の心の中から失われていくのではないかと危惧される状況にあります。 このことに危機感を抱いた有志が集まり、「倉安川研究会」を立ち上げ、倉安川を中心にした資料を『倉安川の歴史』として取りまとめ、記録として残すことになったものです。
本研究会の活動は、「公益信託『百間川』水とみどり基金」より、百間川およびこれに関連する河川において行う調査研究活動の対象として認められ、2009年度の助成金を受けました。

※本書籍は非売品であり、地元の関係官庁、農業用水関係者、小学校、図書館、公民館などへ配布されています。内容についてのお問い合わせなどは、下記の執筆者欄にあります「倉安川研究会事務局」へお願いします。

「倉安川の歴史」-児島湾北岸の水利史-
編集・発刊:倉安川研究会(平成21年9月)

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    表紙、執筆者、裏表紙
    ※クリックすると拡大します(PDF:0.1MB)

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    目次
    ※クリックすると拡大します(PDF:0.1MB)

1.倉安川の概要

倉安川は、岡山市の吉井川から旭川へ流れる延長19.9Km、幅5~6mの水路で、江戸時代1679年(延宝7年)に備前藩主の命を受けて津田永忠が築造したと伝えられる人工的な水路です。
倉安川の当初の機能は新田干拓地への用水供給でしたが、それと同時に、東方面から岡山城下へ米や生活物資を運ぶ運河の機能もあったようです。
児島湾北岸の新田開発事業は、度重なる洪水と旱魃により疲弊しきっていた藩の経済基盤を立て直すための一大プロジェクトでしたが、この新田開発事業の遂行に当たって不可欠で重要な役割を果たしたのが、新田への用水を供給するために開削された倉安川でした。 その開削・築造に当たっては幾多の困難があったにもかかわらず、周到な計画の下で高度な土木技術を駆使して、約6ヶ月という短期間で事業を完成させている点は驚くべきことです。

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    倉安川の位置

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    倉安川の周辺

2.倉安川の状況

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    写真①
    吉井川の取水口にある吉井二の水門
    岡山県史跡
    (今は使用されていない)

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    写真③
    百間川との交差部に
    昭和60年頃まであった水門
    (百間川改修により今はない)

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    写真②
    西大寺あたり

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    写真④
    旭川の近く

3.児島湾沿岸における新田の干拓年代

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資料:福成孝三、石黒勲:地域開発と治水利水計画「児島湾北岸の新田計画を
中心として」、第1回土木史研究発表会、土木学会 昭和56年6月

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